ケーススタディ•ジュビロ磐田と日本代表の戦術①ジュビロ磐田の「Nボックス」

By | 2017年8月4日

一九九七年に初めてJリーグを制したジュビロは、チームの共通理解である戦術を日々追究し、シーズンを追うごとにその精度を高めていきました。ある意味でニ〇〇ー年は、その完成形に到逮したシーズンだつたと思います。システムは「Nボックス」と呼ばれた3-5-2。「N」は名波浩さんの頭文字で、一般』的な3-5-2とは「両サイドMFを置かない」とい大きく異なっていました。

続いて、初招集されたときの日本代表についてもお話ししましょう。初めて日本代表に呼ばれ たのは一九九九年の夏。日本が招待チームとして出場したコパ.アメリカ(南米選手権)の 開幕直前、僕は追加招集選手として急遽、パラグアィに向かうことになりました。

実は、初めて日本代表に招集されることがわかった瞬間、僕は完全「Nボックス」に尻込みしていました。育成年代でも代表というものに縁がなく、長らく代表に名を連ねてきた選手たちと違って顔見知りも少ない。ましてやく代表ともなれば、日本サッカー界のトッブスターが集まります。耐え難い緊張の連続に直面し、独特の雰囲気に完全に飲まれていました。

練習では、監督を務めていたフィリップ.トルシエの指導ス夕ィルに困惑しましたある 日の練習前、ウォームアッブを兼ねてパス回しをしていたときのこと。トルシエに「ちょっとこい!」と呼ばれた瞬間に走ったイヤな予感は、見事に的中しました。「お前はなんでそんなにダラダラやつているんだ! やる気がないなら帰れ/」

もちろんダラダラやつていたつもりはありません。むしろ「Nボックス」ウォームアップのときくらい、 自分のぺースでダラダラやらせてほしいと思つたのが正直なところです。思わず頭にきてしまつた若かりしころの僕は、「わかりました」といつてロッカルームに戻りました。慌てて追いかけてきたスタッフの助言にも聞く耳をもたず、「ホテルに帰るからバスを出してください/」と語気を荒らげたのです。すると、歩み寄ってきた山本昌邦コーチがこういいました。

「トルシエはああいう人だから、ここはフクが抑えて、あつちのグラウンドで走つておけ」ジユビロのサテライト時代、同じょうに「帰れ/」と怒られたことが一度だけあります が、ここは日本代表チームに加わったばかりで何も知らない僕が、予期せぬタイミングでトルシエに怒鳴られたことに衝撃を受けました。

さて、そうした当時の雰囲気もご紹介しながら、このチームの戦術的な解説に移りましょう。トルシエは戦術やシステム「Nボックス」に選手を当て込む監督でした。戦術は「フラット3」。

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